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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和34年(ネ)243号 判決

控訴人 神保実正

被控訴人 高野源二

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求め、なお当審において請求の訂正申立を為し、「控訴人は被控訴人に対し別紙目録記載の土地について所有権移転登記手続をしなければならない」との裁判を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は当事者双方において次のとおり訂正附加したほかは、原判決の事実摘示と同一であるから、こゝにこれを引用する。

一、被控訴代理人は

(一)  原審において、「被控訴人は本件土地(別紙目録記載の土地、以下同じ)の上に、昭和二〇年一二月住宅を建築して居住し、今日に至つている。」旨主張したが、これを「被控訴人は本件土地の上に、昭和一九年一二月住宅を建築して居住し、今日に至つている。」と訂正する。

(二)  原審において、被控訴人は、控訴人に対して本件土地について富山県知事の許可を条件として、所有権移転登記手続を求めたが、本件土地の売買当時の法令ではその所有権の移転について富山県知事の許可を必要としないことが判明したので、控訴人に対し単に本件土地についての所有権移転登記手続を求める。

(三)  控訴代理人の後記主張事実中被控訴人の従来の主張に反する部分はこれを否認する。

と述べ、

二、控訴代理人は

(一)  控訴人は昭和一二年支那事変以来華北交通株式会社に保線修理班長兼工務段長として勤務し、終戦直前(昭和一八、九年)時は鉄道線路及び橋梁等の爆破事故の復旧工事の責任者として多忙を極めた。そのような時に被控訴人より本件土地のうちの四一六の五を建築用として譲受けたいとの書状を受けたが、近く引揚帰国の意思であつたので、四、五日後、「帰国時の唯一の予定宅地で応じ兼ねる」旨回答した。折り返えし同様の書面を受けたが、「右土地は小作人訴外高野松之助との小作契約により同人の優先的承認が必要である」旨回答して婉曲に拒否した。ところがその返信として、松之助の承諾を得たとの回答を受けると共に、被控訴人の弟の妻訴外高野柳子より右宅地譲渡方依頼の書面を受け、さらに電報による催促を受けたので、右柳子には「代替地ができれば考慮する旨返答し、被控訴人には「小作人松之助の承認を前提とし四一六の五と四一六の三とが一括でなければ考慮の余地がなく、しかも代替地がないから駄目だ。代替地があれば考慮する。なお、多忙のため叔父訴外神保時平に相談し最後案は同人から聞く」旨伝えた。同時に時平には、本件土地は引揚後の唯一の宅地で譲渡の意思がないから被控訴人より申入れがあつても拒否するよう依頼した。その後被控訴人よりの単価問題の照会に対しては不明であると回答した。その後時平より時価坪一〇円位でないかとのハガキがあつたようであるが、以後誰からも便りがなく、本件土地について売買予約や代金の授受又は住宅建築するなどの通知も受けていない。

以上のように本件土地については、譲渡の意思がなかつたので、時平を代理人とする旨を被控訴人にも訴外高野松之助にも発言したことがない。

(二)  当時の内地での控訴人の母の生活状態は昭和一二年半頃から昭和二一年三月頃までは小作米約九石五斗別に毎月控訴人より金五〇円(昭和一二年半から昭和一六年五月まで)金七〇円(昭和一六年半から昭和一九年まで)金百円(昭和二〇年度)宛の送金を受けていたので相当な貯金を為し生活に困ることはなかつたものである。たまたま控訴人が昭和二一年五月二七日北支より家族四人で無一物で引揚げ、さらに弟家族五人が引揚げ、母と一〇人の同居生活となつて困つたが、小作米の余剰金や前記送金の余剰貯金があつたのと政府の引揚者への生業資金五万円があつたので借金することなく生活出来たうえ、小作人高野松之助外四名より本件土地を除き一応全部返還の約束ができて次年度からの生活の基礎が出来たものである。

(三)  控訴人が引揚げてみると、本件四一六の五の土地上に被控訴人の家が建てられていたので、時平に問質したところ、時平は退職金や貯金が少くとも五万円(現時価五千万円)以上もあり、敗戦になると思わなかつたから引揚げても農業に従事することは考えられなかつたので被控訴人は住宅移築に場所がなくて困つていたため、四一六の五の土地内に家を建てるだけは承諾したが、代金は登記するときに決定する約束であると答え、さらに目下小作人高野松之助と被控訴人とは四一六の三の宅地分割問題と離作の涙金問題とで紛争中でなお未解決であると附言した。

(四)  昭和二一年八月一六日訴外高野松之助より本件土地を除くその余の全小作地を返還する旨の約束がなされたが、同年一〇月頃一部返還できないとの申入れを受け、さらに昭和二二年一月に同人より「被控訴人と四一六の三の宅地分割問題を解決して貰えば、前記約束どおり小作地全部返還するからこの解決に努力して貰いたい。」との申出があつた。そこで、本件土地以外の小作地の返還をうけることができるなら、四一六の五には既に被控訴人の家屋が建つているので、四一六の三の分割問題を解決の上移譲する外ないと考えて、松之助、被控訴人、時平と数回会談したが解決するに至らず、やむなく昭和二二年六月二四日の第六回農地委員会の議題として提案した結果、同月三〇日農地委小委員会の斡旋により控訴人と小作人との小作地返還、並びに小作人と被控訴人との四一六の三の宅地分割等の各問題を含めて一切を解決する和解案が成立した。(成立時は翌七月一日午前二時)ところが、右和解案は立会呼出の時間的都合で被控訴人不参加のまゝ決定したものであつたので、七月一日晩右和解案を被控訴人に詳細説明しその承認捺印方を懇請したが、被控訴人は不参加を理由に拒否した。そこで、控訴人は被控訴人の利己主義と非協力性に憤慨し絶交を宣言して袂別し今日に至つた。その後松之助も被控訴人の不承認を理由に右和解案に不承認を主張し、破棄を申出た。そして、同年一一月一二日第九回農地委員会では和解案どおり決定し知事宛申請することを議決したが、被控訴人や松之助の策動のためか、翌年四月迄申請手続はなされず、同月九日付農地委員会長より前記和解案を調停するから出頭するようにとの通知を受け、翌一〇日県の竹島小作官から和解案の内容では知事が認可しないからと強制的に一部を変更せしめられた。即ち本件の四の六の三及び四一六の五の二筆を除外し、控訴人より松之助に七〇七番田を渡し、松之助より控訴人に二二〇番田を渡すということになつた。右は被控訴人及び松之助が共謀し和解案を破棄し、さらに小作官をして強制変更をなさしめたものである。しかし、右農地委員会では右変更の決議はなされていないものである。

かくして、本件土地は和解から除外され、被控訴人及び松之助の共謀により昭和二二年以来不法占拠され、公課のみは控訴人によつて納入されて来たものである。

(五)  以上の詳述によつて、本件土地についての売買契約が成立していなかつたことが明白であるが、なお本件土地の小作人松之助が被控訴人の売買成立したと主張する後である昭和二一年度の小作米を控訴人に支払つていることによつても一層明らかである。

従つて、代金額も決定せず、且つ一銭の支払もなく、売買契約が成立していないのに、所有権移転登記手続をする義務のないことは明らかである。

と述べた。

立証として、被控訴代理人は甲第一号証、同第二号証の一ないし三を提出し、原審証人辻栄作、同吉田久子、同神保登起恵、原審並びに当審証人高野松之助、当審証人高野与作、同高野柳子、同高野義孝の各証言、原審並びに当審での被控訴人の本人尋問の結果を援用し、乙第一号証 同第四号証、同第五号証の一ないし四、同第七号証の一、二、同第一八号証の成立はいずれも不知、その余の乙号各証の成立はいずれもこれを認めると述べ、控訴代理人は乙第一ないし第四号証、同第五号証の一ないし四、同第六号証、同第七号証の一、二、同第八号証の一ないし五、同第九ないし第一三号証、同第一四号証の一、二、同第一五号証の一、二、同第一六ないし第一八号証を提出し、原審並びに当審証人神保すさ、同神保キク、当審証人山口清次郎、同松山茂、同宮崎栄作、同高野良一、同奥村乃ぶの各証言、原審並びに当審での控訴人の本人尋問の結果を援用し、甲第一号証は控訴人の印影の成立のみを認め、その余の成立を否認、同第二号証の一ないし三の成立はいずれも不知であると述べた。

理由

被控訴代理人は被控訴人が昭和一九年一〇月三日控訴人の代理人訴外神保時平との間に控訴人所有の本件土地(別紙目録記載の土地)を代金一七三五円で買受ける契約を為し、控訴人が帰省した時その所有権移転登記手続を受ける約束で右土地の引渡を受け即時代金を右時平に交付した旨主張し、控訴代理人はこれを抗争するのでこれについて判断する。

(一)  原審並びに当審証人高野松之助の証言によれば、昭和一九年一二月頃被控訴人は本件土地に住宅を建築し居住して今日に至つている(被控訴人が本件土地に住宅を建築し居住して今日に至つていることは当事者間に争がない)ことが認められること。

(二)  右の事実に原審並びに当審証人神保キクの証言、原審並びに当審での控訴人、被控訴人の各本人尋問の結果を綜合すると、被控訴人は昭和一九年一二月頃以降本件土地に住宅を建築し居住してこれを使用していたが、これについて控訴人(同人は昭和二一年五月下旬頃帰郷しその頃右の事実を知悉していた)及びその家族らから何等これについて異議を述べた形跡がなく、また被控訴人において右土地の賃料ないしは使用料と目すべきものを控訴人に支払つた形跡及び控訴人及びその家族においてそれを(損害金をも含む)被控訴人に請求した形跡もないことが認められること。

(三)  原審並びに当審証人高野松之助、原審証人辻栄作の各証言を綜合すると、訴外高野松之助は元本件土地中の四一六の三(別紙目録1記載の土地)を控訴人より賃借しその一部に納屋を建てゝいたので、昭和二〇年一月下旬頃控訴人の叔父訴外神保時平に右土地の買取り方を懇請したところ、同人は該土地は既に被控訴人に売渡して了つてあるからどうにもならないと断つたことが認められること。(この点に関する原審並びに当審証人神保すさの証言は措信しない。)

以上認定の諸事実に原審並びに当審証人高野松之助、原審証人辻栄作、当審証人高野与作、同高野柳子、同松山茂、同宮崎栄作(後記措信しない部分を除く)及び原審並びに当審での被控訴人の本人尋問の結果を綜合すると、被控訴人は昭和一九年七月頃本件土地の内、田(別紙目録2記載の土地)の部分を宅地にしてその上に住宅を建てようと考え、当時満洲にいた右土地の所有者である控訴人に、自ら手紙で或は弟である訴外高野与作夫婦を介して右田の買取方を懇請したところ、控訴人から右田に隣接する同人所有の本件宅地(別紙目録1記載の土地)と一諸に坪一〇円でなら売つてもよい、そのことについては控訴人の叔父である訴外亡神保時平を控訴人の代理人としてあるから同人と交渉して欲しい旨回答して来たこと。そこで被控訴人は右時平と交渉し、なお右土地の賃借人であつた訴外高野松之助の諒解をも得たうえ、同年一〇月頃、控訴人の代理人訴外時平と本件土地を控訴人の言値どおりの坪一〇円合計代金一七三五円とし、その所有権移転登記手続は控訴人が帰省次第なすことの特約で買受ける契約を結び、即時本件土地の引渡を受け、その上に住宅を建て、同年一二月末頃右家屋に移住して今日に至つていること。控訴人は昭和二一年五月下旬頃満洲から引揚げて来たので、被控訴人は控訴人に対して再三本件土地を被控訴人名義に所有権移転登記手続をするよう催促したが、控訴人は帰国当初は本件土地を前記の如く被控訴人に売渡したことを認めていたが、その後訴外高野松之助との間に本件宅地にからんで小作地返還の問題について紛議が生じ、さらに昭和二三頃訴外神保時平が死亡するに至つてからは、態度を一変して、右売買契約の成立を否定し、登記手続を拒んでいることが認められる。

当審での控訴人の本人尋問の結果によりその成立が認められる乙第一八号証の記載、原審並びに当審証人神保すさ、同神保キク、当審証人宮崎栄作、同奥村乃ぶ、同山口清次郎の各証言、原審並びに当審での控訴人の本人尋問の結果中右認定に牴触する部分は前顕各証拠に照合して容易に信用できない。

なお控訴人の印影の成立について争がなくその余の成立については原審並びに当審での被控訴人の本人尋問の結果によりその成立が認められる甲第一号証によれば、昭和二二年五月二七日付被控訴人より富山県知事宛売買契約締結に関する件届と題する書面中に、本件田について昭和二〇年一二月売買契約締結完了の旨記載され、成立に争のない乙第一一号証によれば、昭和二二年五月二七日付被控訴人より富山県知事宛売買契約締結に関する件届と題する書面中に本件田について昭和二一年一二月売買契約締結完了の旨記載されているが、右は本件田の地目変更についての県知事に対する許可申請手続が余りにも遅延していたので、殊更右のように売買契約の日をおくらせて記載したことに起因するものであることが認められるので、右の如き記載も前記認定の妨げとはならない。

ほかに前記認定を覆えし、前記売買契約の成立を否定するに足る確証がない。

尤も、当審証人山口清次郎の証言とこれによつてその成立を認められる乙第四号証、当審での控訴人の本人尋問の結果によつてその成立を認められる乙第五号証の一とを綜合すると、右売買契約成立後の昭和二〇年、昭和二一年の両年度において、従前本件土地を控訴人より賃借小作していた訴外高野松之助がこれについて従前納入していたとおりの小作料を他の小作地の小作料と一括して訴外山口清次郎を介して控訴人に納入したような疑が濃厚ではあるけれども、前認定事実に徴し当時すでに被控訴人が本件土地の引渡を受けていたことが明らかであるから右のような事実があつたからといつて、ただちに前記売買契約の成立を否定する根拠とはなしがたい。この点に関する控訴代理人の主張は採用しがたい。

ところで、特定物の売買においては特殊の事情のない限り売買契約の効力発生と同時にその特定物の所有権は相手方に移転し、代金の支払の有無は所有権移転に関係を有しないものと解すべきであるから、本件売買においては特に本件土地の所有権を将来移転すべき特約など特殊の事情を認むべき確証がないので、代金の支払の有無についての判断を為すまでもなく、前記売買契約成立と同時に本件土地の所有権が被控訴人に移転したものといわなければならない。

そして、右売買契約成立当時施行の法令(臨時農地管理令)上、本件田の所有権の移転については所轄県知事の許可を必須要件とするものとは解し難く、また農地以外の本件宅地の所有権移転については所轄県知事の許可を要しないことも明らかであるので、控訴人は被控訴人に対し本件各土地について前記売買を原因とする所有権移転登記手続を為す義務あるものというべきであるが、控訴裁判所においては控訴又は附帯控訴の申立により変更を申立てた部分に限り第一審判決を変更することができるものであることは民事訴訟法第三八五条の明定するところであるので、本件について、控訴人は「本件土地について富山県知事の許可を条件として所有権移転登記手続を為すべき」旨の第一審判決に対し控訴を申立てたのにとゞまり、被控訴人において当審で右「富山県知事の許可を条件として」とあるを削除し、単に「本件土地について所有権移転登記手続を為すべき」旨の請求訂正の申立をしたからといつて、同人が控訴又は附帯控訴の方法で第一審判決に対し不服を申立てゝいない(このことは本件記録上明らかである)限り、第一審判決をその訂正申立のように控訴人に不利益に変更することはできないので、第一審判決を維持するのほかなく、従つて、被控訴人の前記請求の訂正の申立は不適法として排斥を免れない。

よつて、原判決は結局相当であるというに帰し、控訴人の本件控訴は理由がないからこれを棄却することゝし、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小山市次 広瀬友信 高沢新七)

目録

1、黒部市山田字屋敷四一六の三 宅地 九三坪五〇

2、黒部市山田字屋敷四一六の五 田  二畝二〇歩

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